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映画「おおかみこどもの雨と雪」 感想

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時をかける少女がダイスキなので細田守監督作品ということで見てまいりました。例によって、ネタバレが必然です。あしからず。

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率直な感想を述べると、中途半端な年齢、環境で見てしまったなというものです。当方27歳でございますが結婚はしてないし、ましてや子供はいない。なので親の気持ちというのは理想が大半を締め、実際はよくわからない。

子供の頃の気持ちを思い出すにも、やや昔でたぶんあーいうこと思ってたんだろうなぁという不確かな感情の発露でしかありません。

ただそういう中途半端な立ち位置になってしまった時、自分がコンテンツの感想を述べるには誰かに感情移入した場合、周りの登場人物からはどう見えるかという立ち位置変更をするので結果的にはよかったんじゃね?という立場です。

 

とりあえず、グッと来たシーンの羅列でお送り致します。いたしまーす。

序盤は母親の花が「彼」こと「おおかみおとこ」との出会いから始まります。彼と話、帰りのスーパーで買い物をするシーンがあるがここで花は、人参3つ入っている袋を最初に手に取りその後に単品の人参を手に取る。

もう、こういうのたまらなく好きです。一人暮らしをしていて材料を使い切れるとは思えない3つ入りを手に取るはずがないんです。彼と出会ったことで一人分じゃなく、つい二人分を計算してしまった恋した女の子にグッと来た。かかっかかわえええじゃないっすか。

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実写画像に他意はございません。偏屈じじぃとか思ってません。

 

次に、田舎もんとしての車感。車自体全然詳しくないんですけど。当たり前すぎて他の人にはしょしょ初歩すぎるのでございましょうが、あまり映画を見ない自分としてはオッと思った所は、偏屈じじぃが畑の様子見をし去っていくのですが当然農作業従事者としてメルセデスa.k.a軽トラを使ってます。

ここの音が軽トラはミッション車なのでしっかり1速から溜めてー2速ーんで3速ーという音の動きをしているのです。走りさって2速入れる頃には見えなくなっていますが、田舎は基本的に静かで車エンジン音がものすごく響きます。なので見えない距離まで離れても3速入れるまでの音がしっかり聞こえます。

それと花のママ友の車のチョイスもあーそうだわーという感覚的なものがあります。たしか日産のキューブともう一台はなんかだったと思いますが、田舎でキューブってものすごく浮くんですね。如何にも若者が乗ってますって記号です。いや、キューブって若者向けじゃんとツッコミは当然なんですが、若者の数が少ないため中々見ない。それで浮いちゃうんです。

一番いいシーンだなぁと思ったのが、雪と雨が学年が上がってくシーン。YouTubeで、ワンカットで人の一生を流す動画があったと思うのですが、それに似て横スクロールで雪の教室と雨の教室を映す。これは田舎の1学年1クラスという点を上手く使ったもんで、単なるスキの前倒しなんだがうわぁ!うめぇ見せ方!の一言です。標語みたく、一年生はナントカナントカ元気!で二年生はみんななかよくだったかな?

ここもっとよく見れば良かった。そういや雪の入学式では田舎にしちゃ全校生徒けっこういるんじゃね?と思った。田舎もんって子供出来るとその場に留まり転校はあまりなくて転入はほんの時々ある。若者少数+少子化なので、学年が下がるごとに人数が減っていくものだがどうだったかちゃんと見れてなかった。

 

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そろそろ本編の流れに触れていかないと。見終わった後、特段こりゃオカシイだろ!とツッコミはなかった。サマウォのヒロイン空気とかみたく。なんか、時かけ、サマウォ、今回のおおかみこどもと完全ハッピーエンドじゃなく失っているものが前面に出てしまう。

時かけだと、マコト自体は千秋とはもう一生逢えない。サマウォだと、おばぁちゃん死んだ。おおかみこどもだと、父親が亡くなり、息子はおおかみの選択肢で出ていく。でも、時かけは千秋が見たかった作品が復元されて作品自体で千秋と逢い、サマウォはクソリア充になって、おおかみこどもはいつか来る巣立ちで、と成長があったり感動はあるんだが、失ったものデカくね?

雨が10か11歳で家を出ていく、雪は中学生になり寮へ。あまりにも早い。花カワイソスギ・・・と思った所で、自分が小学高学年、中学生ってどうだったかを思い出すと、いや俺もうオトナっすから。一人で生きて行けますから。ちょっと、あんま俺のことに構わんといてもらえますかね。という態度だったと思う。思春期っすね。

雨はオオカミの年齢でいうとオトナだし、花自体もオトナの年齢だからこそ出産や子育て、移住地を変えるなどの決断を一人でしたんだと思う。ここで、花の親の存在感が皆無なのがこの母親あってこの息子があるんだなぁと説得された感じ。

 

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そういや家族が影響しあってないという批判を見た。

雪は学校の友達に影響を受け、他人との違いを恥、人間としての選択を取る

雨は学校に行かず、山の主である狐に影響を受け、オオカミとしての選択を取る。

家族物として見れば確かにそうだ。見る前自分は家族もんとして劇場で座った。見終わった後のざっくりとした感想も。だが他の人の感想を見ると変わった。

知っている情報はオオカミ男に恋して子供産んで、花が子供二人抱えている絵だけだ。なので、映画の着地点はオオカミだとバレないように隠れながらも頑張って生きてます!程度のノホホンとした物だと思ってた。二人の人間か狼の選択で着地するとは思っていなかったのだ。なので、人生の長いスパンとして考えるといつかは家を出ていくのだから、

おおかみこどもの雨と雪は人生

だと言わざるをえない。キリッ

CLANNADは、子供が生まれて育てるまでの人生だが、その子らが巣立ち一人で暮らすまでの人生なのだ。キリッ

 

言いたいこと言えたので、またざっくり羅列すると家族もんとして終わらない着地点にするのなら影響は家族ではなく周りの人間でいいんじゃないか。家族だけの影響だと外へ出て行かない。

寂しかったのはラスト、雪と雨の部屋が勉強机に誰も座ってない空間がとても寂しかった。

雪が女の子らしさってのを周りから知っていたが、じゃあ宝石箱とか女の子らしいスキなものは女の子だからスキじゃなく親から教えられたり他人からそういうもんだと知らされるからスキなのかなぁとか、

父親が死んだシーンの「雨」のザーザー音が大きく凄く不安にさせられ、雨が鳥捕まえるて覚醒めるのは「雪」が降った日だとか、雨が巣立ちする時は台風の「大雨」の中だとか。と考えると生まれた天候を名前に付け、雨と雪と離れ離れになった花は生きている中で訪れる天候で思い出し共にいるような感覚で家族であると言えなくも(うにゃうにゃ